先日、今年慌ただしく去ってしまった叔父の物置の掃除に行きました。
そこは、5年ほど前に小さな法律事務所をたたんだ際に事務所にあった荷物やあまり使わないものを持ってきていたところのよう。
趣味人だった叔父の荷物は、仕事の書類や道具のほか写真やカメラ、クラシックレコードとともにたくさんの本があった。
歴史の本や仏像の本など興味深い本ばっかりでほとんどいただいてきた。
司馬遼太郎はほとんど読んだが、随筆などはまだだったので嬉しい。
最後に出てきたのは、永久保存と書かれた45年前の司法修習生時代までの勉強ノートや事件資料などが入った箱。
青春のすべてをかけた時期の思い出の宝箱だと思う。
しかし、それは本人にしかありがたみのないもの。
引き取り手はないので、何も分からない僕の手で今日全部捨てられた。
すべてのモノは消えてなくなってしまう。
でもそれらは吸収されて人と成しているはずだし、
そして生きた過程で大きなことが残っている。
自分自身もモノは何も残らなくても多くのことを吸収して吐き出し、
自らテーマである障がい者の自立支援で誰かのためになるような
こと・流れ・営みを、人知れず残していければと思いました。