2006年は自分にとって転機となる大きな年でした。
毎年書いている年記を今年はブログに記してみたいと思います。
1月は、昨年末に発売したアグロナチュラの事業拡大を目指して、置いていただきたいお店や掲載していただきたい雑誌社へのアプローチに必死でした。
よくデザイナーのT君に、バイクのうしろに載せてもらって六本木のAXISから、表参道のIDEE、ARTS&SCIENCE、クレヨンハウス等に一緒に商品紹介に行ったことが思い出されます。
しかしまだその時は売上は数百万円であり、なかなか思わしい結果を得られる状況ではありませんでした。事業が成り立つのかという不安な日々を送っていました。
この頃は早朝にジョギングを行っていたり、かなりストイックにやっていた時期のような気がします。
まだ明けきらない冬の朝、暗い道をただ黙々と走っていた、そんな感覚が記憶に残っています。
2月はドイツ・ニュルンベルグの「BIOFACH」という大規模なオーガニック製品の展示会にも出展したりしていました。
ドイツは自然化粧品の先進国ですが、日本ではデパート等にしか売っていない自然化粧品が多くの薬局でも売ってる買い易さや価格の安さにはびっくりしました。
国内ではアグロナチュラも雑誌掲載され始め、初めて売上も1千万円を超えました。イタリア現地とも喜びを分かち合いました。
イタリアのテレビで見た荒川静香さんの金メダル獲得と合わせて記憶に残っています。
とても嬉しかったです。
とても嬉しかったです。
毎日毎日何度も売上状況をチェックしていたことが思い出されます。
3月は、掲載雑誌がさらに増えると共に、会社への問い合わせなども増え、イノベーターへの認知が進んできた感じでした。
この頃は、この事業での独立などの話もあり、事業計画書等も作ったりしていました。
36回目の誕生日の当日、スピックアンドスパン・フレームワークとのコラボレーションで作らせてもらった桜のアイテムの発売となりました。
35回目の時は、昔からの夢であったヨーロッパ出張の機内だったと記憶していますが、今年もまた夢であった、立ち上げた事業の新商品発売というすばらしいプレゼントがもらえた記念日となりました。
まだ肌寒い春の朝、自由が丘のフレームワークの店の前のベンチで開店を待ったことが、今では随分昔に感じられます。
4月は、松屋銀座の化粧品売り場の真ん中の催事スペースに2週間あまりも出展させていただきました。
売り場にも立たせてもらって、多くの人ともコミュニケーションできましたし、そんな華やかな売り場にいることで、自分は化粧品業界にいるんだなと始めて実感した記憶があります。
また全国の販売ショップ等の店長会等で、製品説明をさせていただいたりと全国を回りました。
個人でブログを始めたのもこのときからです。
売上は安定し、約半年で事業が立ち上がったという安堵感と小さな達成感を得られた春でもありました。
5月の頃になると、小売店や雑誌社の方からお問い合わせをいただくようになりました。
また新商品のキャンドルの発売を行うと共に、販売店数を拡大しました。
この頃は、イタリア現地のバックアップをいただきながら、ハーブティーの開発、基礎化粧品の開発やローズシリーズの開発と、営業活動、翌年の店舗の開発、ネット販売事業の構想などが重なり、過密な充実した日々を送っていました。
時間が足りず、会社と家で作成中の資料を印刷して、毎日電車の行き帰りに化粧品類のコピーを作っていたことを思い出します。
6月は、ハーブティーを発売することとなり、営業、広報と忙しくしていました。
会社の半期が終わり、自分として納得の出来る実績が出せたという充実感の中にいました。
毎月の雑誌には必ず取り上げていただき、全国のよい感じのお店には大体置かれ、ブランド認知も上がり、使っていただきたいようなお洒落な方に多く使っていただけるようになりました。
またこの時期、マーケティングや事業運営を迷いながらやってきましたが、何か吹っ切れたというか、見えたという感覚を得ることが出来ました。
そして、このアグロナチュラというアイコンを通じて、多くの方にお会いすることが出来ました。ユーザーの方、経営者の方、ファッション関係の方、化粧品関係の方、雑誌編集関係の方、福祉関係の方など様々な方との出会いが今の財産となっています。
そうした6月末、イタリア出張に行きました。
そして行きの飛行機の中、勤めをやめて独立することをを決意しました。
そして行きの飛行機の中、勤めをやめて独立することをを決意しました。
出発直前に会社から、立ち上げをさせてもらった化粧品事業部を会社全体組織に吸収するということを聞きました。以前からこの事業での法人立ち上げなどを示唆されていましたが、人頼みでの不安感も感じており、このときやはり自力で独立すべきと決心する良いきっかけとなったのです。
相談に乗っていただいた師のお言葉や、行きの飛行機で読んだ社会起業家についての4冊の本が、迷う心に勇気を与えてくれました。
相談に乗っていただいた師のお言葉や、行きの飛行機で読んだ社会起業家についての4冊の本が、迷う心に勇気を与えてくれました。
自分が最も熱意を持って取り組める「福祉とビジネスの融合」というテーマを、今すぐ自分がやり始めよう、とにかく船を漕ぎ出そうという気持ちに火がつきました。
ちょうどサッカーワールドカップのイタリア優勝で街が歓喜に沸く夜、不安と情熱の混ざった酸っぱい様な気持ちでスタートを決めることになりました。
ちょうどサッカーワールドカップのイタリア優勝で街が歓喜に沸く夜、不安と情熱の混ざった酸っぱい様な気持ちでスタートを決めることになりました。
7月は、事業の第一フェーズの締めくくりとして、基礎化粧品やローズシリーズの開発からコピーの作成まで力を込めて行いました。最後の仕事として、そして今後も残っていけるようなブランドになれるような基幹商品の整備を完了させたかったのです。
そしてイタリアサイドを含め多くの方のご協力で、今後の事業基盤となっていくであろう製品の開発を完了することが出来ました。
8月は、今後のことについて色々考える時間が多かった気がします。
実家のある大阪でスケッチブックを手にあれこれ思いをめぐらせていました。
会津若松で日本の伝統工芸の魅力を教えていただいたのも8月でした。
また友人とミニトライアスロンにも参加したりと、夢のような不思議な感覚の熱い夏でした。
会社の最終出社日には、会社の仲間たちに素敵な送別会をしていただきました。とても楽しく、素敵な日々が送れました。
9月に入ってからは会社登記などを行いました。結構面倒な作業でしたが、法務局に出向くたびに、何か未来は自分でを作っていくという今までに感じたことのなかった新しい感覚を覚えました。
また、家族と過ごす時間が増え、何げない生活の中にある本当の幸せについて気づくことになりました。
桜木町駅から役所に向かって歩く途中、橋から見た静かな海が夏の終わりと新しい季節の始まりを感じさせました。
10月は、早速行動開始ということで、横浜市振興公社に勤めている知り合いの方に相談に行ったりし始めました。
そこで教えていただいたのが、コミュニティビジネス支援事業です。資料を作成して審査申し込みをしました。
また、今後一緒にお仕事をさせていただく頼もしい方々にも出会う機会に恵まれました。
そこで教えていただいたのが、コミュニティビジネス支援事業です。資料を作成して審査申し込みをしました。
また、今後一緒にお仕事をさせていただく頼もしい方々にも出会う機会に恵まれました。
様々な地域にリサーチの出かけたのも10月です。めまぐるしく充実した日々の始まりでした。
11月は、今後の自分の立ち位置について考えることが多くありました。
「福祉とビジネスの融合」を標榜して本格的に活動をはじめましたが、出すぎてもいけないし、出ない場合は訴えかけるものも少ないし、と表現方法に慎重になりました。
試行錯誤をしていくしかないという現在の結論ですが、私はこれからも、あれこれ悩みながら活動する日々の中で、恥の上塗りをしていくことでしょう。
試行錯誤をしていくしかないという現在の結論ですが、私はこれからも、あれこれ悩みながら活動する日々の中で、恥の上塗りをしていくことでしょう。
また様々なところにも行きました。全く縁のない土地で非常に感動するような場面に出くわしたり、刻々と変わるトレンド発信地域にいたりと、活動の源となる知見を深める非常に良い機会をいただきました。
そして、月末にはハーブ種植え会という「福祉とビジネス」を融合する新しい事業の現場に参加させていただき、自分にとっての新しい時代の幕開けを感じることになりました。
そして12月、今後の色々な仕事についての計画策定や打ち合わせなど行い、あわただしく過ぎました。
新しい仕事をいただいたり、自分にとって挑戦すべきテーマを色々といただき、本当に幸せ者だと思います。
新しい仕事をいただいたり、自分にとって挑戦すべきテーマを色々といただき、本当に幸せ者だと思います。
来年の計画を立てながら、来年はどんな1年になるのかとても楽しみです。
色々な方のお力添えで、毎年の漠然とした夢が現実になっています。去年の今頃まったく想像できないような今があります。
先日来ブログでも書いておりました横浜チャレンジコミュニティビジネス支援事業について、昨日市よりお電話があり、事業認定および助成金交付が決定したというお知らせをいただきました。
行政にも認めていただき事業も行いやすくなるととても嬉しい反面、やるからには結果を出さないとと、身の引き締まる思いです。
本当に今年一年は、自分にとって激しく大きく物事が回天した年でした。
仕事を通じて、ボランティア活動と通じて、様々な人達に出会い、そして自己実現をさせていただきました。
自分一人では得られることのない壮大な夢が、お力添えをいただいて、手を伸ばせば届くところにあります。
この転機となった自分の年、3回目の戌年は一生忘れられない年になると思います。
日ごろ未熟な私にお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。
来年・亥年は多くの挑戦をし、失敗しながらも更なる成長を遂げて、恩返しが出来るようにしたいと思います。
来年も懲りずにご指導のほどお願い申し上げます。
ぜひ良いお年をお迎え下さい。