手島大輔 裏プロフィールです。
赤裸々に個人のことを語ってしまいますが、お時間のあるときに、ご興味のある方だけご覧いただけましたら幸いです。
ルーツは、父は愛媛県松山市出身で戦後に法曹界を目指して上京、母は東京都出身で明治維新時に一家で薩摩鹿児島より上京という南方系。
自我に目覚め、残り傷を気にする機会もある。
バイクの改造にも精を出す。
よって単位はとれず、債権の授業は最履修で卒業できないかもしれない危機に。
インドではニューデリーから北インド、そしてゴアを目指すが、ボンベイでアメーバ赤痢で入院、またイスラム教徒のテロで12か所の爆発あるも、いく予定で体調悪くたどり着けなかったエアインディア事務所が爆破、助かった。
ホノルルマラソンは、スタート時は調子に乗って先頭スタートをしたが途中こけて捻挫、何とか4時間半で帰ってこれた。
その後、しばらく運動していなかった反動で、トライアスロンを始める。
同期や先輩に恵まれ、楽しい生活のはじまり。
生意気であった自分を上司、先輩方が厳しく心優しく指導していただく。
欲しかったクラッシックカーも手に入れられる。
経営本の購入や予備校費用などに貯金は全部使った。
早朝起きて学習、満員の通勤電車で縮小コピーしたノートを口でめくって暗記、仕事での移動中読書学習、帰宅後学習、毎日1社ずつの財務分析計算、テープに吹き込んだ暗記項目を聞きながら睡眠、土日は予備校、のこりはテストに勉強仲間と合宿など、今までの人生で最も勉強。
営業には自信。要領よく営業予算は達成しつつ1年後何とか1次試験に合格。
しかし平日も休日も遊びを節制して渾身の力で臨んだ2次試験は不合格。
外資系を意識し、英会話学校に貯金一括入金で通い始める。
サーフィン開始。
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様々な仕事を経て参加したすごい中途採用の仲間、難関を突破して入ってきた優秀な新卒の仲間に出会う。さながら経営学校。
慣れないエクセル解析などに苦戦するも仲間に助けられる。
精神的暗黒期。
必死で生きていたがこの時期の記憶は少ない。
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上司や仲間に恵まれ、事業経営の現場を1からご指導いただいた。
念願であった海外を舞台にした様々な仕事をさせていただく。
33歳にて初めての海外出張を実現。なかなか実現しなかった夢が叶い嬉しかった。
営業マンから仕入れ担当責任者に。香港に川上倉庫を作るなど貿易業務、中国の税制などに詳しくなる。
毎日の3,000を越えるアイテムの在庫管理・発注管理を営業部門と戦いながら遂行。フォーキャスト・仕入管理システムを手作り。物流費、在庫金額とも数千万円の圧縮と欠品率の低下推進。
新規事業開発担当者に。キッズインテリアブランドの開発などを行い発売。
現場100回の日々にてリサーチ、2005年1月から戦略策定、事業計画、マーケティング戦略、ブランドコンセプト、商品企画、デザインディレクション、価格設定、カタログ作成、ホームページ作成、広報活動、営業活動と約4ヶ月で開発、2005年11月に発売。
仕事に没頭しすぎて、自動車免許・自動2輪免許を時効で無くす。大ショック。
コーズリレイテッドマーケティングの国内事例のさきがけとして、国際NGOへの寄付学は2千万円弱に達するソーシャルブランドに。
福祉とビジネスを融合する活動に特化できるようになる。
福祉のボランティア活動は協力を得て、障害者によるオーガニックハーブ栽培をお手伝いするセミナーレ・エ・ヴィーヴェレの活動を行う。横浜市のコミュニティビジネス事業者の認定をいただく。
オーガニックコスメの現状を把握するためアメリカ・北欧・アジアなどを回る機会を得る。
オーガニックコスメ数ブランドの立ち上げ。また全てのブランドに社会性を持たせ、ビジネスによる社会インパクトも模索。ソーシャルブランドプロデュースを行う。
いわゆる初めての上司も部下もいないフリーエージェント、ノマドライフ。
数年間助手席であった、自動車の普通免許を再取得。
数年前夢をかなえる手帳に書いたその時点での、精神的・物質的な夢は全て手に入れられた。
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2009年1月。リーマンショック後、環境の激変。生き馬の目を抜く世界。今までと一転し、売上げの激減した状況に突入。全てゼロベース。冷蔵庫はカラ。一文無し。綱渡りの低空飛行。ビジネスの世界は非情かつ厳しい。
困窮時、コンサルティングや執筆、講演の仕事に恵まれる幸せと感謝。
コンサルティングは、それぞれにしかない個性を最大限に発揮して、それぞれがこの大きな市場で存在感と事業規模を拡大していける方法、また自身でも実際にブランドを立ち上げながら成功事例を生み出し、クライアントに具体的に結果の出るサポートを実施することを心がける。
また、福祉とビジネスを融合するコンセプトの新たなブランドの立ち上げを目指し、企画開始。取り組みのパートナー企業の探索を開始する。前作「アグロナチュラ」を凌ぐコンセプトを考察。
同時に、障がい者の授産施設による産品の販売をサポートし、自立支援を行うボランティア団体「セルザチャレンジ」の活動を開始する。
背景としては、外資系NPOへの寄付を行ってきたが、日本市場で集められた多額のお金が本国に送金された後配分される仕組み、日本人や自分たちが募金以外で具体的な活動を行うことが少ないことに違和感を感じ、自分たちのできる身の丈の活動で社会貢献を行うスタイルを模索。
「国境なき医師団」のように鞄一つで紛争地に行き人のためになる様な活動を考え、「マーケティングする」「売るデザインする」「商品企画する」「PRする」などの得意なことで、障がい者を支援できないかと考える。
そこで、チャレンジドパーソン(障がい者)の作るものをとにかく「売る」という活動団体を立ち上げる。メンバー1名、資金ゼロ、登記なしの活動団体スタート。
多くの方のお力をいただき、新しいブランドを立ち上げられることになる。
セルザチャレンジに賛同する新しい同志にもたくさん出会える。
2月に、幼少から子供のない家でかわいがってくれた叔父がガンで急逝。弁護士であったが、その専門性の高い仕事や趣味が多く自由なライフスタイルに今の自分は影響されたのかもしれない。
苦しい中、3月に第2子誕生。責任も大きくなるが、使命感と充実感。
新ブランドは、厳しい競争環境の中で、自分にしかできないようなコンセプトに昇華させるものを模索、「福祉とビジネスの融合」「地域の障がい者の雇用創出」「音楽」「地域」「世界」「デザイン」「チャレンジトレード」と「オーガニックコスメ事業」を融合させるブランドを目指す。
カタログやウェブの作成には、後にセルザチャレンジにも加わる有志が力を貸してくれる。
2010年3月 自身の今までのことをクレヨンハウスの雑誌クーヨンに取材いただく。
2010年5月 国際NGOの老舗、シャプラニール=市民による海外協力の会から突然お声掛けいただく。ボランティアでフェアトレードブランドの立ち上げに力をくれないかとのこと。
社会保障制度のないバングラデシュとネパールで、夫のDV、失踪などから出産後すぐに売春婦にならざるを得なかった10代~20代の母親の社会復帰のための石けんづくりのプロジェクトに、専門家としての協力の打診。
フェアトレードに興味はなかったが、昔から「青年海外協力隊など世界を舞台に人にためになる」ということには憧れがあった。厳しい生計の中でどうするか悩んだが、新しい扉へのノックと思い参加させていただくことに。現地に連れて行っていただけるということがインセンティブとなった。また、得意なことで人のためになれるということが、仕事人冥利に尽きるプロジェクト。職員の皆様の素晴らしさ、団体の真摯さに感銘を受けた。一方で家族を養うには厳しい収入額に問題意識も持った。
2010年9月 セルザチャレンジのデザイナー峯崎氏、PR五十嵐氏とともにネパール・バングラデシュの現地に連れて行っていただく。今までの価値観が変わるような現地活動を体験。現地でブランド・事業を立ち上げる、集中したプロジェクト。
人生で大切なものに気づかされた南アジアからの帰国後は、引っ越しやクルマの売却・乗り換え、私物の処分、身の回りの整理など、自身のダウンサイジングを加速。
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2010年9月 セルザチャレンジのリサイクルアロマキャンドルの発売。時間がかかっていまい1年がかりのプロジェクトとなった。1つのキャンドル作成で810円の工賃が利用者に。
2011年1月 社会企業家に関する本などを執筆する方を訪問しお話を伺う。ビジネスをどう社会活動に結び付けていくか、ボランティア社会活動でどう食べていくか。福祉とビジネスを融合して生計を立てていけるか。また、コンサルタントなどの個人ベースのサービス業でこの先やっていけるか、資本と対峙していけるか、自身でリスクを取った事業を行わないと立場は儚いか、など悩み模索する。
2011年2月 フェアトレード石けんブランド「She with Shaplaneer」が、ギフトショーがらデビュー。多くのメディアに取り上げられる。
2011年3月 東北大震災。表参道から歩いて帰る。自身に何ができるか、セルザチャレンジとして何をするか考え続ける。自分自身の大きな意識の変革を感じた。
九州に住む永利浩平氏から、乳酸菌が作る抗菌剤の化粧品用途についての相談がある。
2011年4月 エファップジャポンや広島商工会議所、マーケティングセミナーなどでお話しする機会を多くいただく。
5月には、セルザチャレンジメンバーのつてで、被災した岩手県陸前高田市の授産施設を訪問。新しい「梅干し販売プロジェクト」の立ち上げ。またVERY誌にセルザチャレンジの記事を掲載していただく。
またチェンジザワールドや慶応義塾大学院、ETHICなどでお話しさせていただき、社会活動で生計を立てていくことを目指している新たな仲間に出会えることとなり、道が開けていくことに。
2011年6月 セルザチャレンジの会合を行う。
メンバー21名。試行錯誤を経て、本当に志のある仲間が集まった。プロジェクトも「アロマキャンドル」「オニオンキャラメリゼ」「アロマバスソルト」「被災施設食品販売」「サオリ」「梅干し」「WEBショップ」など多彩となり、会議も充実したものとなる。資金もなく地味であるが地道に、自分たちのできることで活動してきたことが、やっと花開くようになってきた。横浜にて一般社団法人での登記準備開始。
2011年6月 特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会の評議員に選出していただく。40年の歴史、2,000人の会員、3億円の事業を行うNPOの運営についてビジネスやマーケティング面でお手伝いさせていただきながら、真摯な社会活動でどう事業継続をして組織運営をして、生計を立てていくのか勉強をさせていただくことに。
2011年7月セルザチャレンジの一般社団法人登記完了。「陸前高田 冰上 福幸梅2011」発売
福幸梅は、大手企業などにはなかなか採用されず苦戦したが、最終的には障がい者支援団体や人道団体、NPOなどの意識の高い団体などの支援をいただき完売となる。
2011年9月インフィニストリアは自社で持つ商標権がフックとなり、商標使用ロイヤリティ契約に。新たにコンサルティング関与ブランド「QUON」の発売。
他者の支援は自身が満たされてから。社会貢献と商売の両立はなかなか難しく、社会貢献では食えない現実。
そして今後を考え、不安定なコンサルティング事業に加え物販業をメインとした実業ベースの事業を模索。OEM事業への進出。
社会的活動と同時に食っていくために本気で営利追求する、本格的なビジネスの開始を決意。
2012年2月父の余命1年ガン宣告を受ける。
兄弟をすべてガンで亡くし、自身も甲状腺がんの治療を受けていた母からは自分より先に死なないでほしいと頼まれていた父は、普段から非常に健康に気遣いガン検診をこまめに受けていたが、肺の検査の時に末期の胃ガンが発見される。信じられなかった。
2012年3月17日の誕生日の横浜市の母子孤独死の新聞記事から「障がい者の親亡き後問題」につき、何かしたいという気持ちが起きる。ちょうど3歳の次男が発達障害の可能性があると検診で指摘されたタイミングでもあった。
必ず自身にも訪れる未来。自分でできることから、取り残された複雑で大きな問題を解決し、経済の仕組みに当てはまりにくい人を組織的に救えるような法人の立ち上げと事業の開始を模索し始める。よこはま成年後見つばさの須田さんはじめ、老障介護の当事者など、10名以上の方に連絡して会いに行く。
調査の結果、必要とされる障害児をもつ親のための共済制度、法人後見サービスなどは、参入要件として、また事業存続として単体での立ち上げは困難とわかる。
結果、強いビジネスと連動しての社会問題解決が必要と実感。
2012年4月物販業への進出としての2つのOEMブランド「DEUXIEME CLASSELe billet」、「more trees organic」の立ち上げ。事業として復活。黒字化。
2012年5月 九州の永利浩平氏との事業に将来性を感じ、九州大学農学部、鹿児島大学歯学部およびバイオベンチャーとともに新規事業の開発に本格着手。
父の生まれ故郷のある愛媛に最後の旅行に同行。
2012年7月イタリアAIDA社と業務提携、四肢麻痺・筋ジスの方向けパソコン操作ソフト「FaceMouse(フェイスマウス)」の日本総販売代理店契約を行い、販売事業を開始準備。
2012年9月より東北被災地3県の福祉作業所を対象とした商品力・工賃向上のためのマーケティングセミナー(計12回)の実施開始。
2012年9月ドイツ・オーシャンウェル社と業務提携、海洋素材製品ブランドの日本総販売代理店契約を行い、販売事業を開始準備。出荷作業に障がい者の仕事創出を組み込むビジネスモデルに挑戦開始
2012年12月4日第三男誕生、そして12月12日父の他界。
検察官であり、真面目一徹、他人のことを優先し、清貧実直に生きた父は、母、家族のために3種の抗がん剤治療を受け入れ、余生宣告半年より4か月も長く生きてくれ、家族に充実した時間を作ってくれた。死の2日前に最後の孫を手に抱いてくれた。
自身の荷物の処分、相続関係、葬式、死後の挨拶状まですべて自身で準備していた。絶対に寝たきりにならないことを決意しており、体力は落ち、フラフラであったが、死の当日まで自力でトイレに行き、意識をはっきりさせていた。幸運なことに自分のみがその死に際に立ち会えた。マッサージしてくれと言われ続けていたら意識が遠のいていった。
救急車が来て北里病院に運ばれ死が確認された。10か月見守っていただいた医師からは、非常に精神力の強い人だったと思うといわれた。真面目な父親に若いころは反抗したが、その生き方には感銘を受けた。
12月19日に新規事業「飲み込んでも安心 口腔用天然抗菌剤 ネオナイシン」の記者発表を九州大学にて行う。要介護高齢者および重度心身障がい者、闘病者のための口腔ケア製品事業を計画。
父の死と九州での記者会見が重なることを不安に思っていたが、父は先に逝って見守ってくれていたと思う。
この口腔ケア製品事業への取り組みを決意させたのは、父のガン宣告がきっかけであったし、抗がん剤治療が進む中で口内炎、口腔内のカビ(カンジダ)に悩まされた父が、最初で、また最も身近な製品のモニターであった。
6月10日 ネオナイシン配合オーラルピースの記者会見を紀尾井フォーラムにて行う。製品開発のプロセスにはセルザチャレンジメンバーをはじめ多くの方が力をくれた。良い事業にしたい。
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という感じです。
素晴らしい友人、仲間、先輩、お世話になっている人、そして支えてくれる家族が唯一自分の自慢です。
どうぞよろしくお願いいたします。
しかし、まだまだ半分ですね。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。